明松1980

福岡県北九州市近郊の地名等について

明松橋

このブログの名前は現時点で「明松1980」だが、このうちの「明松」は福岡県北九州市小倉北区を流れる板櫃川にかかる橋「明松橋」にちなむ。「明松」と書いて「かがり」と読ませる苗字があるが、ここでは西側の日明町の「明」と東側の平松町の「松」から取ったと考え、「めいしょうばし」と読むのが妥当だろう。

「あげ」の由来

かつて福岡県北九州市門司区恒見町に「あげ」というバス停があった。

以前は、※ - 中吉田 - 下吉田 - 井の浦 - あげ - 恒見営業所という経路も設定されていたが、不採算路線見直しにより廃止・撤退した。

西鉄バス北九州 - Wikipedia

随分前に、西鉄バスのバス路線図を眺めていて「あげ」という名前のバス停があることを知り、その名前のおかしさと、そのバス停の名前がつけられた由来が気になった。

西鉄の時刻表で見ると近くに「上げ鉱山」ってのを見かけた覚えがあります。てっきりそれが由来かな、と思っていましたが、ちょんびんさんの考えが正しいでしょうね(^_^;)

ほぼ西鉄バスの旅:あげ

「あげ」 バス停について語っている唯一のブログエントリのコメント欄において、私の記憶に沿ったお話をされている方がいらっしゃった。

Google ストリートビューで「あげ」バス停の位置を確認すると、頭部が外され胴体の部分に「あげ」と書かれた紙が貼られているバス停が残されていた。
少し道路を進むと、ふたたび頭部のないバス停が現れ、「変電所前」と書かれた紙と時刻表がうっすら見える。

調べてみたところ、西鉄バス廃線後もコミュニティ・バスが通っているようだ。
門司区恒見・喜多久地区 - 北九州市

うっかり見落としてしまうところだったが、「変電所前」バス停跡から「あげ」バス停跡へ向かうところ右手に、おもいっきり「鉱山関係者以外の/立入り禁止/上げ鉱山」という看板が見えた。

境川/堺川の表記揺れ

福岡県北九州市戸畑区と同小倉北区の境に、境川という名前の川がある。

1.境川(さかいがわ)
江戸時代は、境川をはさんで、東側が豊前国、西側が筑前国というように、両国の国境になっていました。そこから、川にせっしている地域(上中原橋から両国橋の間)に「境川」という町名が付けられています。(この川は、現在、戸畑区小倉北区の境になっています。)
境川公園があるほうが小倉北区になります。

町名の由来 - 北九州市

かつては国境、今は区境を示す川として「境川」はあって、今も水勢よく流れているのだが、199号線沿い境川近くの郵便局に、看板「戸畑堺川郵便局」がかかっている。

ひと目、「堺川」は「境川」の間違いかと早合点するが、少し歩くとどうやら単純な話ではないことがわかる。

まず「境川」の河口から始めようとすると、「境川」には出会えない。

1. 堺川埠頭
埠頭の周囲に広がる工業地帯の原材料や製品を中心に取り扱う埠頭です。

公共埠頭【洞海地区】| コンテナターミナル・港湾施設 | 北九州港 / Port of KITAKYUSHU

堺川埠頭(堺川港)は、関門港洞海地区の東端に位置する堺川泊地の西岸にある工業港。原材料や製品の積み降ろしに利用する。埠頭の背後にある新日鐵八幡や新日鐵化学は敷地内に専用埠頭があり、公共埠頭を利用するのは地元の下請け企業だろう。「堺川」は誤記だが、そのまま定着して正式名称になった。

堺川埠頭(堺川港) - 産業と経済

ここで「堺川」を誤記とする記述に出会うが、一旦措いて次へ進むと、「堺川町公園」に行き着く。

川の名前は「境川」、町名は「境川○丁目」だが、「堺川」と名のついた公共施設が一定数存在するのは、どういう経緯によるものか。

そこで、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」で閲覧できる国土地理院地形図を確認したところ、以下のとおりの結果となった。

測図 川の名前 町名 その他地名
1922(大正11)年 境川 境鼻
1936(昭和11)年 堺川 境鼻
1950(昭和25)年 堺川 境鼻
1969(昭和44)年 堺川 堺川町
1984(昭和59)年 境川 境川一丁目
1999(平成11)年 境川 境川一丁目

かつての「境川」は何かの理由で「堺川」となり、その間作られた埠頭や郵便局や公園の名前には「堺川」が冠されそのまま生き、何らかの理由でまた「境川」に戻った、という筋書きだ。昭和44年頃の「堺川町」は、現在の「堺川町公園」の位置とぴったり合う。

当ブログの目的

 当ブログの目的は、福岡県北九州市近郊の地名の歴史や風土についてつらつらと述べ、インターネットの海に少しでもひっかけて、遺してゆくことです。検索サイトで北九州市にまつわる地名について検索すると、さまざまな匿名顕名の方々が、ブログやホームページで、福岡県北九州市近郊の歴史や風土について記録を遺されています。私も、そのうちの一人になろうと考えました。